ブルースコラム~歴史とエピソード

シティーブルースとクラシックブルース

第一次世界大戦(1914~1918)を境に南部の黒人たちは、軍需産業で活気づく北部の諸都市(シカゴなど)へ流れ込むようになりました。いわゆる、出稼ぎですね。「需要のあるところ、供給あり」というわけでブルースは北部で新たな展開をみせることになります。

都会のブルース

当時の北部都市でのブルースは、二つの潮流がありました。

一つは男性ブルースマンがカントリーブルースの弾き語りスタイルをそのまま持ち込み、のちに洗練されたものになっていく「シティー・ブルース」です。

もう一つは女性ブルース・シンガーがピアノや時にはビッグバンドをバックに歌に専念する「クラシック・ブルース」でした。

最初に発展を見せたのは、実は女性中心の「クラシック・ブルース」の方です。

最初にレコーディングされたブルース

1920年に初めてレコードとなった記念すべきブルースはマミー・スミス (Mamie Smith)の「That Thing Calld Love」というクラシック・ブルースでした。

しかしながら、ベッシー・スミス (Bessie Smith)マ・レイニー (Ma Rainey)アイダ・コックス (Ida Cox)などのスターを生み出し、JAZZとブルースの橋渡し役として重要な役割をはたしたクラシック・ブルースも、1930年代半ばには女性ジャズ・ボーカルの世界へと吸収され姿を消し、その中心はシティー・ブルースへと移行しました。

ジャズの影響とロニー・ジョンソン

シティーブルースで特筆すべき人物は「ロニー・ジョンソン (Lonnie Johnson)」です。

あまりにも有名な「ロバート・ジョンソン (Robert Johnson)」となまじっか名前が似ているため(?)日本では影が薄いですが、その卓越したギターテクニックやメロディーセンスは芸術と呼んでも過言ではありません。

アコースティックギターを使うことからカントリー・ブルースとごっちゃにされることが多いシティー・ブルースですが、ジャズの影響を色濃く受けたロニーのボーカルや単音弾きのギターソロ(カントリーブルースでは見られない)を聞いていると、「シティー・ブルースとはこういうものだ」と実感できるのではないでしょうか。

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この記事を書いた人

12才よりギターを始めキャリアは30年以上。
20代半ばでブルースに目覚め、集めたCDは100枚以上。

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