高石ともや ( たかいしともや )

本名 尻石友也。

立教大学在学中、釜ヶ崎で肉体労働をしながら、そこで働く人たちに歌とギターの楽しさを教わり、その後ギター一本で全国を放浪しながら、各地に伝わる歌を発掘し紹介するスタイルで音楽活動をはじめる。

1966年大阪の「フォークソング愛好会」に飛び入りしたことがきっかけになり、同年暮れに「かごの鳥ブルース」でレコードデビュー。
「思い出の赤いヤッケ」に続く「受験生ブルース」深夜放送を聞く学生たちに受けがヒットとなる。

高石ともやを見出した、秦政明と共に設立した会員制アングラ・レコード・クラブ「URC」には、岡林信康、高田渡をはじめ関西フォークを支える面々が集結し高石はそのリーダーとしてシーンを引っ張ることになるが、過激さを増していくファンと社会との間にギャップを感じ、69年に活動を中止し渡米。

帰国後の71年、福井県名田庄村を拠点に城田じゅんじらと「ナターシャ・セブン」を結成、それまでのメッセージ性の強いフォークとは距離を置きブルーグラスなどいわゆるマウンテン・ミュージックを中心とした活動に転じる。

毎年京都の円山野外音楽堂で行われる「宵々山コンサート」は高石がはじめたもので、途中中断したものの2005年には25回を迎える京都の夏の風物詩である。

高石ともやに関連するCD

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