カレッジ・フォーク
キャンパス・フォークとも呼ばれる。
1965年前後、第一次フォーク・ブームを支えたのは大学生のフォーク・グループだった。
東京の学生たちが、PPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)やキングストン・トリオのコピーを中心に、美しいハーモニーとギターの伴奏で一大ブームを起こした。
その中からはプロになるものも現れ、1966年「若者たち」を大ヒットさせた「ザ・ブロードサイド・フォー(黒澤久雄が在席)」を筆頭に、小室等のいた「PPMフォロワーズ」、後にソロになり「バラが咲いた」を大ヒットさせたマイク真木のいた「モダン・フォーク・カルテット」、現在はアコギのカリスマ的存在になっている吉川忠英のいた「ニュー・フロンティア-ズ」らがその中心的存在だ。
森山直太郎の母親、森山良子は黒澤久雄の後輩で、黒澤から「ジョーン・バエズを聞くと良い」とアドバイスを受け、後に「和製ジョーン・バエズ」「フォークの女王」と呼ばれるようになる。
学生が中心であるため卒業を機に解散するグループが多く、フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」は卒業(解散)記念に作られた自主制作レコードであったことは有名な話だ。
カレッジフォークはお坊ちゃま、お嬢ちゃまの道楽という見られ方をしてレコード化されたものはプロの作曲家の手によるものも多い。
現実に音楽的なレベルが高かったかどうかは疑問もあるが、アマチュアが演奏する音楽が世に受け入れられたという点で意義深い。
それまでのプロの作詞、作曲家と歌手という分業体制がこの後徐々に切り崩されていくきっかけとなった。